2018年12月26日水曜日

2018年度 2期第12回ゼミ

 ゼミ生のNです。今期最後の授業になります。最後は、相澤先生オススメ「幸福」という題名のフランス映画見ました。

 まず映画は、恋人とその子供達が森で楽しくピクニックしているシーンから始まります。題名に相応しく「幸福」を表す場面でした。男性の名前はフランソワ、女性の名前はテレズー、2人は結婚を約束した関係です。しかし、フランソワにはテレズー以外にも愛している女性がいました。それは、郵便局で働くエミリーという女性です。家庭の仕事、子育てに追われるテレズーを他所にエミリーとの関係を深めていくフランソワ。そんなある日、テレズーは突然フランソワから浮気の事実を聞かされ、戸惑いながらもフランソワとの関係を続けると決心しました。その矢先、テレズーは命を落としてしまいます。この後、フランソワは浮気相手エミリーと結ばれ、幸せな生活を送ることになりました。そして、エミリーとフランソワと子供達が森でピクニックを楽しむシーンで映画は幕を閉じます。

 この映画は、人によって最後のエミリーとフランソワ関係性の受け取り方が大きく異なってきます。なぜなら、映画内でテレズーの死因を明確にしなかったからです。テレズーはフランソワの浮気を聞かされ、その後すぐ川で溺れて亡くなってしまいました。時系列的に考えれば、フランソワの告白を契機に自殺したと解釈できます。しかし、花束を抱えていたという目撃証言があったのです。これによって、これから自殺を図ろうとする者がわざわざ花束を持つ必要があるのかという疑問が生じ、結果、事故死の可能性が浮上してきます。まさに、このテレズーの死因が最も重要な点であり、それ次第で話全体の様相が劇的に変化してしまいます。仮にテレズーの死因が自殺だと明確にされた場合、その原因はフランソワの浮気によるものであり、エミリーとの関係はテレズーの犠牲によって成り立つ関係となってしまいます。よって、映画の最後のシーンを潔く認めることが出来ません。一方、テレズーの死因が明確な事故死の場合、テレズーの死はフランソワの浮気との関連性がなくなり、その後のフランソワの気持ちの方に話のベクトルが向いていきます。この結果、エミリーの子供達とのピクニックシーンは、テレズーの死を乗り越えた何とも感動的なシーンに生まれ変わってしまいます。このように、テレズーの死因をどのように解釈するか、それによってエミリーとフランソワの関係の見方が大きく違ってきます。

 ところで、「幸福」とは何でしょうか。なにを持ってすれば「幸福」なのでしょうか。お金でしょうか。それとも、地位や名誉でしょうか。はたまた家族でしょうか。私からすれば、それら全てが「幸福」であり、同時に「幸福」ではないと思います。「幸福」とは人の解釈の結果に過ぎないと思います。だから、現在の状況をどのように解釈するかによって「幸福」にもなりうるし、「不幸」にもなりうるのです。貧しい生活を送っていても、私自身がその生活を「幸せ」と解釈すれば「幸福」になるのです。要は、自分次第です。

 テレズーの死因をとのように解釈するか。フランソワは、テレズーの死因を事故死と解釈したように思います。だから、エミリーとの関係を悲観的に捉えなかったのです。フランソワは「幸福」になったのではありません。「幸福」になることを選択したのです。フランソワの行動に不快感を覚えるのは、テレズーの死を自殺と解釈し、「幸福」になることを諦めたからです。この映画の優れている点は、テレズーの死因を明確にしなかった所にあります。映画を見ている私達に問いているのです。テレズーの死因は自殺か事故死かと。
私達に「幸福」を掴む勇気があるのかと。


 今年も終わりですね。今年は別れが多い1年でした。よく遊ぶ友人達は皆、社会人となってなかなか会えなくなり、弟も家を出ました。いつまでも変わらないように見えて少しずつ変わっていくことを実感しています。いつも失って初めて「幸せだったな」と感じます。「幸福」って近くにあるように見えて、結構遠くにありますね。






2018年12月21日金曜日

バレエ鑑賞 『くるみ割り人形』

クリスマスムード
あふれる劇場。
 ゼミ生のRです。1216日にゼミ課外活動として、新国立劇場にて『くるみ割り人形』を鑑賞しました。劇場には大きなクリスマスツリーが飾られていて、作品鑑賞前からクリスマス気分を味わうことが出来ます。開演場所であるオペラ劇場は圧倒される広さでした。

 『くるみ割り人形』は2幕構成で公演されました。クリスマス・イブの夜、少女クララはドロッセルマイヤーからくるみ割り人形をプレゼントされます。その夜、クララは夢の中で邪悪なネズミ達に襲われてしまうのですが、そこへくるみ割り人形が助けにやってきて・・・。と、このように物語は進んでいきます。
 
 物語とダンスが見事に調和していて華やかさを存分に楽しめる公演でした。ロマンティックな演出や色鮮やかな衣装により、幻想的な雰囲気が会場一体を包み込みます。少女クララの夢の中では、クララが恋をしているドロッセルマイヤーの甥がどれだけ素敵な存在かということが、クララ目線でありありと伝わってきます。劇場に居ながら、まるでクララの夢の世界に入り込んでいるかのような感覚でした。
 
新国立劇場オペラパレス
 1幕では物語が中心に繰り広げられていきますが、2幕ではダンスの見せ場も非常に多いのでどちらも満喫出来る充実した時間が過ごせます。私は、2幕での花のワルツがとてもお気に入りです。女性ダンサー達のオレンジの衣装が踊りに合わせてひらひらと舞う様は、今思い返しても素敵なものです。

 シーズンに合わせて、それにあった作品を鑑賞しに行くというのは素晴らしい時間を過ごす一つの方法だと考えます。今回の課外活動では、クリスマス・シーズンに相応しい温かな作品を鑑賞し、満足のいく時間を過ごすことが出来ました。

2018年12月19日水曜日

2018年度2期第11回ゼミ

 ゼミ生のKです。2期第11回ゼミを行いました。今回は最初に、今後のスケジュールについての確認をしてから、相澤先生が小島毬奈『国境なき助産師が行く』(ちくまプリマー新書、2018)の紹介をしました。本書は、上下関係が厳しく自分に裁量の自由が認められない日本の医療現場に不満を抱えながら助産師をしていた筆者が、国境なき医師団に入り、様々な経験をしたことが記されているノンフィクション新書です。
 その経験の中でも特に「文化の違い」によって新たな気づきを得る筆者の様子がよく分かります。例えば、一緒に働く自分と価値観の違う人と付き合う時には、「人と過去は変えられない」という言葉を意識していたそうです。変えられないことは受け入れて生きていくしかありません。
 
 次に、相澤先生の特に印象に残った内容として、筆者が過酷な状況だった南スーダンで経験したことを紹介しました。南スーダンにはレイプなどの性被害により、妊娠してしまう女性がいるので、医師たちが体を守るために有効な避妊具を勧めるのですが、現地の女性からは拒まれてしまいます。なぜかというと南スーダンの歴史的な文化には女性が自身の意思に基づく選択をするという概念がないからでした。私は生死を分ける場面に至っても自己決定できないことに驚き、反発する気持ちは起きないのかと疑問に思いました。しかし、現地の人には当たり前のことであり自分の意思で選択した経験がないから、反発心が起こらないのではないかと相澤先生から聞き、納得できました。
 
 それから、筆者の経験をもう一つ紹介しました。経済的に貧しい国では、医師団が持っている「ペン」などが価値のあるものになります。そのため、現地の人は欲しがり、手に入れると高値で転売してしまうことがよくあります。その行為だけを見ると悪いことかもしれません。しかし、生活に苦しんでいる背景に目を向ければ、貪欲に生活を少しでも楽にしようとする行動は自然のようにも思います。そのため、私たちは人や行為を責めるよりも、その行為者を取り巻く環境に目を向けることが必要だと筆者は訴えていました。

 
 相澤先生の新書紹介が終わると、12月8日に行われたゼミ報告会の振り返りをしました。私たちのゼミの良かったところは、声の大きさ、ゆっくり話せた点、時間配分、『自由論』の読解内容、演劇鑑賞の感想内容、予想外の質問への落ち着いた対応などが挙げられました。反省点は、声の抑揚がなく強調部分が分からなかった点、具体的な研究報告の欠如、目線が原稿に行き過ぎた点、スライドの量や内容などが挙げられました。
 
 私Kは発表者でしたが、最も意識したゆっくり話すこと、前に立ってからグダグダした様子を見せないことについては、達成できたので良かったです。授業内で出た反省点を忘れずに今後に生かしていきたいと思います。また、ゼミ報告会の全体を通して、聞き手の視点に立つことと、練習、本番を重ねて得られる経験が良い発表をするために重要ななことだと分かりました。

 
 そして最後に残った時間でJ・S・ミル『自由論』(光文社、2012)の読み合わせを行いました。私が印象に残った箇所は、「ほかの人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られる」という部分です。なぜなら、今の日本の法律につながる考え方だったからです。特に刑法36条第1項の正当防衛の規定にそっくりだと思いました。今につながるシンプルな原理を19世紀に生きたミルが考えていたのだと知れて、さらに本書への興味がわきました。

2018年12月14日金曜日

舞台演劇『スカイライト』

 ゼミ生のOです。先日相澤先生とゼミ生二人で蒼井優主演の『スカイライト』という演劇を新国立劇場で観劇しました。今回は、前回観劇した『ヘンリー五世』より小さい劇場でした。劇場の作りも少し変わっており、役者が演じる舞台の前後と左右にも客席がありました。例えるなら、サッカースタジアムのような作りに似ており、役者と観客との距離が近い印象を受けました。

 ロンドン中心部から離れた質素なアパートに暮らすキラ(蒼井優)。ある夜、かつての不倫相手の息子であるエドワード(葉山奨之)がやってくる。妻を亡くして以来、不安定なままの父親トム(浅野雅博)を助けてほしいと言い残し、彼は去っていく。数時間後、期せずしてトムもまたキラの元へ。三年ほど前に不倫関係が明るみになった日以来、初めて再会した二人。未だ消えぬお互いへの思い、解けない不信感・・・共有する罪の意識の間で大きく揺れ動く二人の会話は、やがてそれぞれの価値観の違いをぶつけ合う激しいものとなっていく・・・。(チラシより)

 この演劇は、登場人物が3人とかなり少ない人数でした。けれども、一人一人個性があり、また場面ごとに人物の感情が大きく変化していくのが印象的でした。舞台上では、かつて愛し合った男女による激しい言い合いから、対話へと切り替わる展開が何度も見られました。一度は歩み寄ろうとしても結局は対立に転じてしまうのは、男女の複雑な感情が絡み合っているのだと感じました。劇中では、料理を作る場面がありましたが、そこでは実際に料理を作っていたので客席にも料理の匂いがしました。劇場が小さい分、役者と観客が対話できるのがこの劇の良いところだと思います。

 『スカイライト』は一夜物語であり、最初は単純な演劇だと思っていました。しかし、一夜だからこその過去への想いや切なさがあふれ出る作品だったと感じました。

2018年12月11日火曜日

2018年度 2期第10回ゼミ


ゼミ生のOです。後期第10回目のゼミを行いました。今回は最初に相澤先生とRさんが新書紹介をした後に、128日に行われるゼミ発表の最終打ち合わせをしました。

 新書紹介では、まず相澤先生が渡邊啓貴『アメリカとヨーロッパ-揺れる同盟の80年』(中公新書、2018)を紹介しました。本書は、20世紀のヨーロッパ外交史を取り上げており、またヨーロッパとアメリカとの関係も論じられています。ヨーロッパは第一次世界大戦、第二次世界大戦で戦場となり、大きな損害を受けました。当時、荒廃したヨーロッパの復興には、アメリカ合衆国の支援(マーシャルプランなど)が必要であり、アメリカの支援なしには、ヨーロッパは立ち直れなかっただろうと言われています。しかし、アメリカからの支援により、結果としてアメリカの台頭という新しい力関係が生まれたのも事実です。

 次にRさんは川合康三『生と死のことば 中国の名言を読む』(岩波新書、2017)を紹介しました。本書は、生と死について古代中国の思想家や賢者が何を思ったのか、彼らの言葉をもとに探っています。思想家の言葉の意味は一見難しそうに思えましたが、本書では一つ一つわかりやすく解説されていたので意外に読みやすいと思います。大昔の思想家が残した言葉が現代に残る事はもちろん、その教えが現代を生きる私達にも通じる事に重みを感じました。

 新書発表の後は、128日に行われるゼミ発表会に向けて最終打ち合わせをしました。打ち合わせでは、最初にスライドを使い発表のリハーサルをしました。その後に、改善した方が良い点をゼミ生と相澤先生で出し合い、修正しました。これまで準備してきたので、以前より良くなっていると評価を頂きました。しかし、まだまだ改善していけば良くなる所も沢山指摘されたので、そこを上手く取り入れていく必要があると感じました。今日の授業で評価された事を本番でも発揮できるように練習していきたいです。

2018年12月8日土曜日

総合教育演習報告会 2018

担当教員の相澤です。12月8日に行われた総合教育演習報告会の様子を報告します。

総合教育演習報告会は総合教育演習各ゼミが発表をする集まりで毎年、この時期に開催されています。研究発表をするゼミもあれば、ゼミの紹介をするゼミもあり、内容は様々です。そこで相澤ゼミは、日々の活動を紹介することにしました。

四人のゼミ生で役割分担し、OさんとKさんが発表担当、RさんとNさんはそのサポートをすることになりました。発表準備にあたって私がしつこいくらい繰り返したのは、「自分が納得できるまで練習する」ことでした。やれるだけやった!という気持ちこそ、自信につながるからです。多くの人を目の前にする本番はどうしても緊張してしまうもの。しかし、そんな時も自信をもってしゃべることが発表の質をあげてくれます。

懇親会にて。
ここ数回のゼミの時間を使って発表の予行練習したうえで、二人で自主練を重ねて本番に臨みました。発表者の二人はしっかり練習を繰り返し、その努力を自信に変えて、堂々と発表を行うことができました。質疑応答では、まったく予想しなかった質問が出ました。その質問にも(多少の戸惑いはありつつも)きちんと答えることができました。

事前に私やRさん、Nさんが見ていたものよりもぐっとよくなった発表を本番で披露してくれて、ゼミ生一同満足のいく成果が出せました。

報告会のあとは、合同の懇親会に参加しました。相澤ゼミはその後喫茶店に移動し、スイーツで発表の緊張と疲れを癒したのでした。みなさん、おつかれさまでした。

2018年12月4日火曜日

2018年度 2期第9回ゼミ

ゼミ生のNです。今回は前半にゼミ発表会の練習、後半にミルの『自由論』の精読といったものです。

まず行ったのは、今週の土曜日に迫ったゼミ発表の練習です。資料作りも残すところ最後の意見の擦り合わせだけです。今回、私はあまり資料作りに関わらなかったのですが、発表が良いものになって欲しいと願っています。また、他のゼミの発表内容についての情報が提示され、想像以上の数のゼミが参加する事に驚きました。分野もさまざまで、身近なものから専門的なものまで幅広く、バリエーションに富んだ発表会になりそうです。楽しみですね。

後半は、ミルの『自由論』の精読です。今回は、この精読に講義の大半の時間を使いました。そのお陰で私自身、多くの学びがありました。「自由」について考える時、その「自由」が何によって「自由」と保証されるのでしょうか。私達が自由に生きる代償に、私達以外の人達の自由が犠牲になることがあります。その犠牲を正当化する手段に世論があります。しかしミルに言わせれば、その世論は所詮、多数派の利己的な感情によるもので、理性や論理性など何処にも見当たらないものです。今回の講義で1番印象的な文にこうあります。「人間はほんとうに大事に思うものについては寛容になれないのが自然…略」(p.p26)。この言葉は裏を返せば、人間は何処までも利己的な存在で、感情的な生き物だと見ている事になります。これは本当に恐ろしい洞察だと思います。現代に生きる私達は、自分とは異なる人、文化、習慣に対して頭ごなしに否定せず、理解を示すことに価値を置いています。しかしミルからすればこれらも否定されるのでしょうか。私が信じる「自由」とは、己の個性を最大限に解放出来る生き方です。さて、仮に私の個性が世論に認められないとしたら私はどのようにして「自由」を享受すれば良いのでしょうか。もう少しミルの「自由論」について学びたいですね。

以上で報告は終わりです。
今年ももう終わりです。去年の今頃は、就活の準備に明け暮れていました。あれからもう1年も経ったと思うと日の過ぎる速さに驚愕してしまいます。来年から私は社会人です。来年のこの時期の私は何をしてるのでしょうか、そんな事にブログを書きながら思いを馳せてました。

2018年11月26日月曜日

2018年度 2期第8回ゼミ

 ゼミ生のRです。後期第8回目のゼミを行いました。

 今日は、メインの活動に入る前に二つの話を聞きました。

 一つ目は、1114()に行われた東京経済大学ランチタイム講座「語学リレー講座 日本手話入門」についてです。参加したNさんとOさん、相澤先生から感想を聞きました。一番印象に残った話は、ろう学校では卒業間近に差し掛かるまで手話を使用してはいけないということです。この理由は、社会で手話以外でもコミュニケーションをとれるようにするためです。社会で手話を常用することは出来なくても、こういった彼らの努力を知り、そして忘れないということが大切なことだと考えました。

 二つ目は、相澤先生が深井智朗『プロテスタンティズム』(中公新書、2017)に関する話をされました。同書の著者は、研究不正が疑われています。しかし、本書の内容は決してつまらないものではないそうです。面白いけれど、根拠が無い著作をどう評価すべきか、また、不正をどう見抜き、何が罰されるべきことなのか等、議論のつきない話題でした。

 次に、メインの活動を二つ行いました。

 一つ目は、JS・ミル『自由論』(光文社、2012)の輪読です。今回は、人の意見というものは、様々な因子によって左右されるものだと主張する箇所を読みました。なかでも印象に残ったのは、「そもそも規則の存在理由など、人からも問われず、自分で考えたりもしないものなので、習慣の力はさらに強まる。」(22)という文章です。はじめにこの文を読んだ時は、そうでもないと思いました。しかし、自分がある定められた規則について考える時、その規則はあくまで自分に興味のあるカテゴリー内のものだということに気づきました。興味の有無で考える機会が増減すること、そして興味があるということは、それだけ一層意見が感情(様々な因子)に支配されやすいということを改めて感じました。

 二つ目は、128日に学内で行うゼミ報告会の発表準備です。二週間ほど前に参加した学内でのゼミ紹介と異なり、今回の報告会では学びの成果を主に発表するものなので、違った視点から準備を進めていきたいと思います。

 次回ゼミでも、たくさんの学びや気づきを吸収したいと思います!

2018年11月18日日曜日

2018年度 2期第7回ゼミ

   ゼミ生のKです。2期第7回ゼミを行いました。今回はまず相澤先生とOさんから点字についてのワークショップに参加しての感想を聞きました。点字を読めるようになるには、相当な努力が必要だと分かりました。実際に体験してみることが重要だと感じました。
その後、新書紹介へ移りました。今回はレジュメを作らず、口頭での発表でした。

 最初にSさんが、石川理夫『温泉の日本史』(中公新書、2018)を紹介しました。本書は温泉の専門家が、温泉の起源や歴史についてマニアックに論じています。そこから筆者が思う理想の温泉の在り方が伝わります。私は発表を聞いて、温泉の歴史が飛鳥時代から始まったということに驚きました。
 
 続いてNさんが、澁谷智子『ヤングケアラー』(中公新書、2018)を紹介しました。本書の内容は、高齢化社会の現在取り上げるべき課題を論じていました。「ヤングケアラー」とは、病気や障害あるいは精神的な問題を抱える親や兄弟、祖父母をケアする18歳未満の子供のことです。10代から介護をしていると成長する時期にも拘らず、自分のために時間を使えないのでうつ状態になってしまうこともあると知ることができました。

 次は相澤先生が、松沢裕作『生きづらい明治社会』(岩波ジュニア新書、2018)を紹介しました。明治時代はいつクーデターが起きるかわからない世の中でした。その中で生きる人々は国家を信用することができず、不安を感じていました。そのため人々は国家を頼りにできないので自分自身をあてにして生きていくしかありませんでした。この時代背景から「頑張れば成功できる」という道徳が国民の中に生まれました。しかし、この道徳は「成功できないのは頑張っていないからだ」という考えにもつながり、社会的や経済的な弱者にとって生きづらい世の中であったのだと分かりました。

 次にOさんが、宇田賢吉『電車の運転』(中公新書、2008)を紹介しました。本書はタイトルの通り電車の運転についてかなり専門的に説明されています。例えば、電車の車輪はレールとの接地面が狭いので小さな力でも動かせることや、カーブするときにはレールの角度をつけることで車体のバランスをとることなどが説明されていました。深く掘り下げると興味深そうだと感じました。

 最後に私Kが、小谷野敦『もてない男』(ちくま新書、1999)を紹介しました。本書で筆者は「もてないこと」を、好きでもない異性に関係を求められることではなく、自分の好きな人に相手にしてもらえないことだと定義しています。筆者が考える独特な恋愛論が、過去の文学作品や漫画の抜粋を交えて書かれていました。

 新書紹介の後は、J・S・ミル『自由論』(光文社、2012)の読み合わせを行いました。今回もひと段落ごとにJ・S・ミルが何を伝えたいのかをゼミ生同士で意見を出し合いながら読み進めました。すると、一人で読んでいたら深く考えずに流してしまうであろう部分が、意見を出し合うことで、新たに気づくを得られるのです。内容もまだあまり進んではいませんが、J・S・ミルの考える自由が、これから次々に出てくるような気がしてきました。可能であればもっと時間をとって一気に読み進めたいなと感じました。

2018年11月7日水曜日

2018年度 2期第6回ゼミ


 ゼミ生のOです。今回は最初に、この日行われた経営部一年生向けの『アカデミック・コンパス』の報告をRさんとNさんからしてもらいました。その後は、各自が読んできた新書を発表しました。

 新書発表では、最初に相澤先生が佐藤仁『教えてみた「米国トップ校」』(角川新書、2017)を紹介しました。本書は、アメリカと日本の大学の良い所と悪い所を比較しています。日本の大学の良い点では、学生と教員の距離が近い事が挙げられます。理由は、日本の大学では教授の先生のゼミや授業が受けられるからです。比較対象としているアメリカの大学では、非常勤講師が主に授業を担当しています。一方、アメリカの大学の良い点では、教員が研究に専念できる点です。日米の大学、それぞれ優れた所がある一方で、まだまだ改善すべき事があります。大学教育で何が正しいと正解を出す事は難しいと感じさせられる一冊でした。

 次に私Oが井上史雄『日本語は年速一キロで動く』(講談社現代新書、2003)を紹介しました。本書は、日本語の方言がどれくらいの速さで他地域に伝わっていくのかという問いに答える本です。その一例として「ウザッタイ」が上げられます。「ウザッタイ」は元々多摩地域で話されていましたが、1980年代に東京山の手に進出し、全国へと広がりました。本書からは、私達が普段使っている言葉の中には、地方の方言由来の言葉が多い事に気づかされました。

 Rさんは、浜田寿美男『虚偽自白を読み解く』(岩波書店、2018)を紹介しました。本書は、虚偽自白はどのようにして生まれ、虚偽を暴く為にどのようにすれば良いのかを論じる本です。著者がこれまで関与してきた事件を中心に虚偽自白を読み解いています。日本の取調べでは、自白調書の形で記録され、被疑者自身の手で署名・押印します。無実の人が厳しい取調べを繰り返されると、署名・押印を拒否する余力は残っていません。この様な方法から、無実の人が真実を語っても、信じてもらえないという無力感が虚偽自白に大きく影響しているとのことでした。虚偽自白による司法の問題点を考えさせられます。

 Nさんは、千住淳『自閉症スペクトラムとは何か』(ちくま新書、2014)を紹介しました。本書で言う自閉症スペクトラムとは、他者との関わりやコミュニケーションに困難さを抱える事を言います。社会における障がい者への理解が難しい理由として、自分と似たグループを作り、他者を排除したり、多数派が正当だと考えてしまうという人間の心理が挙げられます。Nさんの報告を聞いて、障がい者への差別をなくすには、私達が障がいを持っている人の「考え」を理解する必要があると感じました。

 Kさんは、坂本真士『ネガティブ・マインド なぜ「うつ」になる、どう予防する』(中公新書、2009)を紹介しました。本書は、鬱という感情を発生させる心の動きを「ネガティブ・マインド」と名付け、その仕組みを認知心理学や社会心理学の知見を元に明らかにしています。鬱になりやすい人と状況とは関連があります。例えば、人から色々言われて、ダメな自分にばかり目が行ってしまうような事態です。そのため、鬱にならない為には、気晴らしや人とのつながりで思考パターンを変える事が重要とのことでした。

 葵祭休みで2週間ぶりのゼミでしたが、各自興味深い新書を紹介してくれました。今後ゼミ生がどんな新書を紹介してくるのか楽しみです。

2018年10月24日水曜日

2018年度 2期第5回ゼミ

ゼミ生のNです。今週の講義内容は、前半に教科書の『はじめようロジカル・ランティング』を進め、後半にアカデミックコンパスの発表練習を行いました。いつもとは違い、新書発表はありませんでした。講義後、他のゼミの海外研修報告会が行われていたので、ゼミ生一同でその報告会に参加させていただきました。その時の感想も書こうと思います。

まず、前半に行った『はじめようロジカル・ランティング』について。今日は「理由付け」について学びました。主張との関連や主張の重要性を深めるツール等、文章作成における「理由付け」の重要性を再確認出来ました。

次にアカデミック・コンパスの発表練習を残り時間を使って行いました。当日、スクリーンニに写す資料も完成し、その資料を使いながら本番をイメージした練習を行いました。一年生にどれだけこのゼミの魅力を伝えられるのか、みなで意見を出し合ってブラッシュアップを行いました。その甲斐あって、出来のいい仕上がりになっています。本番が楽しみです。

講義後は、二つのゼミの海外研修の報告を聞きに行きました。一つ目のゼミは、幾人かに分かれて東南アジアに工場を持つ日本企業を回り、また実際に工場で働く日本人にお話を伺い、それらをまとめた発表を行っていました。その国の価値観や習慣に動揺しながらも外国人と上手くコミュニケーションを取り会社を経営している日本人の様子、海外に市場を広げることによって生じる問題など、日常生活の中では聞くことができないお話を聞く事ができて有意義な時間でした。特に、コミュニケーションに関する考察は興味深かったです。発表では、外国人とのコミュニケーションにおいて大事なスキルは「日本語の表現力」と主張していました。筆者のように外国人と接する機会が乏しい人間はどうしても単語の知識や言い回し、文法ばかりに目がいってしまいます。それらより「日本語の表現力」の重要性を説いた事に驚きました。このゼミは、現地の人達とグループワークも経験したそうです。恐らく、その活動の中で「表現力」の大切さに気がついたのでしょう。

二つ目のゼミはアメリカ、カリフォルニアにあるシリコンバレーに行ってきた報告を行いました。シリコンバレーは多くの新興企業や技術系のグローバル企業が密集している地域で、中でもApple社やFacebookなどは有名です。このゼミは、本場のIoT専門店や最先端技術を体験する事を目的に、多くの先端技術を発表していました。しかし、筆者のような文系人間では理解が及ばず、ただただ驚くことしか出来ない自分が恥ずかしいばかりです。また、小売店実態調査も行っており、アメリカでは有名な小売店の販売戦略を独自で調査し、その考察も発表していました。このゼミは、少し踏み込んだ内容となっており、市場戦略や購買力に関する問題など大変勉強になりました。

以上で報告を終わりにします。
ゼミの海外研修発表会に参加して、同じ大学内でもこんなに様々なゼミが活動しているに驚きました。私もこれらのゼミに負けないぐらい立派な活動をしていきたいです。

2018年10月17日水曜日

2018年度 2期第4回ゼミ

 ゼミ生のRです。後期第4回目のゼミを行いました。今回は三つの活動を行いました。一つ目はKさんによる西洋美術に関する本の紹介、二つ目はその他のゼミ生による今週読んだ新書の簡単な紹介、三つ目が117日に学内で行うゼミ紹介の準備です。

 Kさんは池上英洋『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社、2016)を紹介しました。丁寧な解説に加えて作品の掲載もされており、初心者にも分かりやすく西洋美術が学べるという印象を受けました。エジプト・メソポタミアから現代まで、ここまで時代を網羅して西洋美術史について解説されている本は中々無いのではないでしょうか。西洋美術というとルネサンス以降を注目してしまいがちな私にとって、古代のものから学べる本書は非常に魅力的に感じました。

 他の学習や作業に力を入れる時間の確保の為、これより後の新書報告では通常行う一人5分程度の発表ではなく、他の学習や作業に力を入れる時間の確保の為、タイトルと内容を簡単に口頭のみで紹介する方法を取り入れています。その為、当記事でもタイトルと一言のみの紹介とさせていただきます。

 相澤先生―中村善也、中務哲郎『ギリシア神話』(岩波ジュニア新書、1981)
 神や英雄など様々なテーマが存在するギリシャ神話について解説されています。私にとっても興味深いテーマなので、ぜひ読みたいと思います。

R―加藤秀俊『取材学』(中公新書、1975)
取材に取り組む姿勢や技術等、重要なことが網羅されています。資料探しなど学習のヒントになることも書かれています。

Oさん―21世紀研究会『国旗・国歌の世界地図』(文春新書、2008)
 各国の国旗・国歌の意味が学べる本です。通読することで、深く世界を眺めた感覚を味わえそうです。

Nさん―藤川洋子『少年犯罪の深層』(ちくま新書、2005)
 少年犯罪を犯してしまった人のプライベートに踏み込み、その実態を追求していく内容です。自身の考えをまとめるための一つの参考となるのではないでしょうか。

 後半のゼミ紹介の準備では、仮作成した原稿をもとに打ち合わせをしました。合わせて使用するスライドも用意してあったのですが、私のデータ管理不足で打ち合わせに用いることが出来ませんでした。この失敗を忘れないようにしたいです。メインの紹介内容の方では、話し合いの中でブラッシュアップの要素が見つかったので、参考にしてより良いものに仕上げたいと思います。


2018年10月10日水曜日

2018年度 2期第3回ゼミ

 ゼミ生のKです。
  今日はまず初めに西洋美術に関する本の紹介を行いました。二月にゼミ研修でスペインのマドリードに行くので、その事前学習を兼ねています。
  1人目の発表者は、Sさんです。Sさんは斎藤泰弘『ダヴィンチ絵画の謎』(中公新書、2017年)を発表しました。話を聞いて、絵画を理解するには画家の人生を知ることが大事だと知りました。またコメントの中で初めは絵画の良さが分からなくても、作者を知ろうとすれば徐々に理解できるというものがあり、なるほどなと感じました。プラド美術館には、ダヴィンチの描いたモナリザの模写が展示されているとのことなので、スペイン研修の時に見られることが楽しみです。



  次に相澤先生の発表です。先生は宮下規久郎『食べる西洋美術史』(光文社新書、2007年)を紹介しました。西洋の美術品には食べ物がよく登場する理由が、キリスト教と関係があるからだと知りました。なぜなら、キリスト教ではミサでワインやパンなどが振舞われるなど儀式と食べることが密接な関係にあるからです。また、アトリビュートについての説明もしていただきました。アトリビュートとは、絵に登場する人物に何かしらのアイテムを持たせることで、その人物が誰であるのかが分かるという仕組みです。

   次にOさんが山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』(幻冬舎、2008年)の紹介をしました。この本は写真や有名画家の作品の写真、また作者の人生の歴史などが、コンパクトに紹介されていて、とても読みやすいものでした。発表の中で、写真を撮るという技術が完成したことにより、リアルに描く絵画の価値が下がってしまったという内容が印象に残りました。Oさんが気に入った作品の紹介も3つほどしてもらい、その中で『快楽の楽園』という作品はプラド美術館の中心的な作品だというので、事前にその話が聞けて良かったです。

  次にNさんが、池上英洋『西洋美術史入門』(ちくまプリマー新書、2012年)を紹介しました。発表の中で絵の役割の時代ごとの変化を紹介していました。最初の絵の役割は時の読み書きができない人に聖書などの内容を伝えることにありました。その後は、財力のある人々が記念に残るような風景や家族の絵を求めるようになりました。その後、写真の普及とともに自己表現の一つに役割を変えていきました。また、美術史を知るためには、なぜその作品が作られたのかなどのことを時代背景を含めた社会学的視点を持つことが必要だと紹介されました。

   西洋美術史紹介の後は、J・S・ミル『自由論』を読み合わせました。今回読んだ中で1番重要だと思ったことは、民主主義になっても、「多数派の専制」が行われる危険性があるから警戒する必要があるということだと思いました。一つの段落ごとに理解できているのかをチェックしながら読み進めることは大変なことですが、自分の身になると思うので頑張っていこうと思います。

2018年10月3日水曜日

2018年度 2期第2回ゼミ


 ゼミ生のOです。後期第2回ゼミを行いました。今回は、最初にNさんが発表を行った後、2期から新しく使う教材J・Sミル『自由論』(光文社古典新訳文庫、2006年)を読みました。後半は、11月の経営学部「アカデミック・コンパス」での発表に向けた打ち合わせをした後、次週の課題として西洋美術に関する本を図書館で選びに行きました。

 新書発表では、Nさんが牛島信明『ドン・キホーテの旅』(中公新書、2002)を紹介しました。スペインを代表する文学作品である『ドン・キホーテ』。本書は作品を読み解きながら、騎士ドン・キホーテの魅力に迫っています。紹介後の質問や感想を聞いて、人によって感じ方や解釈が異なり様々な捉え方が出来るのが、文学作品の面白い所だと感じました。

 新書紹介後は、今学期からの新しい教材J・Sミル『自由論』(光文社古典新訳文庫、2006年)の最初の部分を読みました。J・Sミルは、哲学者、経済学者ですが、今日、読んだ部分からは政治学的な要素を強く感じました。J・Sミルの生きた19世紀は、近代民主政治へと大きく政治体制が変化しました。。このような時代の中で、個人がどのように自立し、自由に生きていくのか、現代に生きる私達とも共通する事がこの本には書かれているのだと感じました。

 自由論を読んだ後は、ゼミ発表の打ち合わせをした後に来週の課題として、西洋美術に関する本を皆で図書館に選びに行きました。私は、美術に関してはほとんど知識がありませんが、図書館には意外にも、写真付きの本や入門書がありました。ですから、私でも読めそうなものがみつかったので良かったです。次回の授業では、他のゼミ生の発表を聞いて少しでも西洋美術の知識を深めようと思います。

2018年9月26日水曜日

2018年度 2期第1回ゼミ

夏休みも終わり、ついに2学期の講義が始まりました。どうしても休み明けの憂鬱感が抜け切れまないゼミ生のNです。2学期はイベントがたくさん控えているので、早くこの憂鬱感から脱し頑張っていこうと奮い立たせています。
さて、夏休み明け第一回目の講義内容は、前半にオリエンテーション、後半に夏休み中の課題発表となります。ちなみに、私は課題を忘れてしまったので来週に持ち越しです。休み明け、気が緩んでいますね。本当にすみません。
夏休み中の課題とは、スペインに関する新書の紹介です。これは、2月にスペインでゼミ合宿を行うため少しでもその国について理解を深めようとする意図がありました。
最初の発表者は、Kさんです。山田篤美『黄金郷伝説』(中公新書、2008)という新書を紹介してくれました。内容は、コロンブスの南米大陸発見によってもたらされた、歴史的影響をつづったものです。コロンブスが初めて原住民族と遭遇したときの彼の印象や南米大陸の対する列強国の思惑などが興味を誘いました。個人的には、原住民を奴隷へ陥れた白人第一主義の思想についてより深く知りたかったです。
次の発表はRさんです。岩根国和『物語 スペインの歴史ー海洋帝国の黄金時代』(中公新書、2002)という新書です。スペインが海洋帝国として発展していた時代に起きた歴史的影響のある事件について考察していく内容でした。発表では、イスラムの支配体制について言及しており、宗教、風俗、言語の自由など非常に寛容的な統治を紹介されました。このような異文化を尊重する支配体制を敷く、これこそスペインの国民性の表れかもしれません。
最後の発表者は、Oさんです。立石博高、内村俊太『スペインの歴史を知りための50章』(明石書店、2017)という本を紹介してくれました。中世から現代に至るまで細かくスペインの歴史を覗き見ることができる内容でした。中世では、絶対主義下においても標準語、法典システムが十分に進まなかった点や現代ではカタルーニャ問題など「文化の多様性」に重きを置く国民精神を見受けることができました。

以上が発表の内容となります。全体を通した筆者の感想を述べると「スペインは個々の文化、習慣に対して非常に寛容的」というものです。RさんとOさんの発表を聞くと強くそのように思います。日本には真似のできない支配体制だと思います。では、なぜスペインはこんなにも異文化に対して寛容的なのか。さまざまな要素はあるものの、やはり一番大きいのは国の位置が関係しているのではないでしょうか。日本とは違い、常に異文化が回りにあり、その異文化と関わり続けなければならなかった、その長い歴史の中でスペイン独自の支配体制が生まれたように思いました。。スペインの「寛容さ」は言わば「生きるすべ」なのかもしれません。グローバル社会といわれる現代。今後、日本にも異なる文化との交流が否応なく増えてくると思います。そんな時、日本人が「寛容さ」を持ってどれだけ異文化から来る人々と接することができるのだろうか。ブログを書きながら不考えてしまいました。

2018年8月30日木曜日

吉祥寺での課外活動 映画「ザ・スクエア」

ゼミ生のNです。今回は夏休みに行った活動を報告します。全体の流れは、最初に映画鑑賞、その後ベトナム料理をみなで堪能するといった内容です。

8月23日、暑さが残る中、吉祥寺の小さな映画館の前で待ち合わせし、そのまま映画を見に行きました。木造で作られた映画館の内部は、喫茶店のような作りになっており、読書を楽しむソファーやイスなどが置かれていました。映画館という割に、スクリーンは1つしかなく、そこはまるで「喫茶店の中に映画館を設けた」といったような印象を私自身受けました。

その中で「ザ・スクエア 思いやりの聖域」という少し癖の強い映画をみなで鑑賞しました。簡単にあらすじを説明すると、主人公のクリスティアンは現代美術館のキュレーターとして活動をしていました。彼は次の展覧会に「ザ・スクエア」という地面に正方形を書いた作品を発表します。その正方形の中では「すべての人が平等の権利を持ち、公平に扱われる」という「思いやりの聖域」をテーマにしたものでした。しかし、ある日、財布と携帯を盗まれることをきっかけにクリスティアンは彼の理想とは反する行動に出ます。その結果、彼に待っている結末とは。

この映画の感想を一言で言うと、「性格悪い映画」です。正直、この映画はあまりストーリー性を感じることができません。行き当たりばったりといった感じです。そのせいか、一つ一つのエピソードが際立っています。かといってそのエピソードは決して心地よいものではありません。むしろ、どこか物足りなく、違和感のある終わり方をします。その理由には、クリスティアンの行動が大きく関わってくるように思います。まず、クリスティアンは人前では人助けや平等の大切などを口にするが、実際に彼が物乞いを助けたシーンはごく僅かで、ほとんど無視します。また、彼のはっきりしない態度も映画全体をまとまりのないものにする要因になっているように思えます。クリスティアンは、あまり自らの考えを主張する事は少なく、周りの流れやその場のノリで行動します。その結果、彼は最後に身を滅ぼしてしまいます。

しかし、これらのクリスティアンの行動は確かに魅力的ではないものの、決して理解出来ないものではありません。クリスティアンのように発言と行動が一致しない人は現代社会にも沢山います。また「シジマチゾク」と言った流行語があるように、自ら行動せず、指示を待つだけの人も多く見られると思います。更に言えば、私達自身もクリスティアンのような人間なのかもしれません。映画中、クリスティアンは「不完全な人間」として描かれているが、私が思うに、現代人をよりリアルに映そうとした結果、クリスティアンが生まれたのではないでしょうか。

これまで色々考察しましたが、あくまでも個人的な意見です。人によって、様々な解釈ができると思います。それだけ、メッセージ性の強い映画でした。

映画鑑賞後は、ベトナム料理を食べに行きました。私自身ベトナム料理は初めてだったので、本音映画より楽しみにしていました。

ベトナム料理は野菜を中心としたものが多く、ヘルシーな感じがしました。味付けも独特で、今まで食べたことのない味です。どの料理も、おいしくいただきました。1つ心残りがあるとすれば、私のお酒が飲めない体質です。そのせいで、ベトナムのお酒を堪能できなかったです。

以上で夏休みの活動内容の報告を終わりにします。
日本にいながら海外の風を感じることができた、実りある活動でした。

2018年7月18日水曜日

1期 最終回

担当教員の相澤です。あっという間に1期最終回を迎えました。今日は、前半に教科書『はじめよう、ロジカル・ライティング』を使って文章の書き方について学び、後半は1期の振り返りを行いました。

1期の目標は、まずは読書の習慣をつけることと、そして文章の書き方を学ぶことでした。ゼミ生たちは両方に関して、手応えを感じたようです。特に文章の書き方については、学んだことをレポート執筆の時に意識するようになったとのコメントが複数名から出ました。

私は、文章を適切に書くことも、読書と同様、習慣の問題だと考えています。適切な書き方を意識して数をこなすことが、文章能力をつける近道です。2期も引き続き、教科書を使いながら適切な書き方を学んでいく予定です。

2期には、さらに哲学文献の精読も行うつもりです。とにかくざっとでも内容を把握することを重視する新書の読み方とは違って、「一語一句忽せにせず」(私が大学生の頃に先生に言われた言葉)、文章を読みます。こういう読み方を体験することで、文章の味わい方の幅が広げられると考えています。

2期も盛りだくさんの内容になりそうですが、がんばりましょう。しっかり夏休みを楽しんで、元気に2期が迎えられますように。

2018年7月11日水曜日

2018年度 第12回ゼミ

    ゼミ生のKです。先日第12回ゼミを行いました。今回は、本学に在学している留学生の授業に参加させていただきました。

    授業内容は、各自が興味を持ったものをパワーポイントにまとめ、プレゼン形式で発表するというものでした。発表内容については、全体を通して、日本人にとっては当たり前で、普段考えないような事柄を題材にしている人が多くいました。

コメントさせて
いただいているところ。
    その題材について、歴史的な観点を使うなどして日本人が知らないようなところまで深く掘り下げている人や、日本と外国の文化の違いに触れながら説明している人、動画を入れてイメージしやすくしている人、内容をあえて限定的に絞って深い部分を取り上げている人など、発表の工夫が人それぞれ違っていて、とても面白かったです。
 
    また、今回の授業を聞いた事を今後、パワーポイント作成や、プレゼン発表する際の参考にしていきたいと思いました。個人的に、同い年ぐらいの他国の人の話を生で聞くことが初めてに近かったので、新鮮で、いい経験ができました。留学生の方々、お邪魔させていただき、ありがとうございました。

2018年7月4日水曜日

2018年度 第11回ゼミ

 ゼミ生のOです。第11回ゼミを行いました。今回は、前回鑑賞した増村保造監督『妻は告白する』(大映、1961年)から、各自が読み取った事をディスカッションしました。後半は、教科書『はじめよう、ロジカル・ライティング』を読みました。

 映画のディスカッションでは、最初にゼミ生で映画のストーリーを確認しました。ストーリーを確認した上で、それぞれが感じた事・気になった事などを中心に話しました。その中で、注目した点として「男性中心主義」が上げられます。昭和30年代は、今以上に女性が社会で自立するのは難しい時代でした。主人公の彩子が滝川亮吉と結婚したのも、結婚して経済的に安定した生活を営む為でした。二人の結婚生活では、仕事と趣味の登山を楽しむ亮吉に対して、彩子は家事に追われていた。そんな「愛」のない生活を送っていた彩子が、男性に愛されたいと思うのは必然とも読み取れます。
 
 また、彩子と幸田(後に愛人関係となる)の恋愛関係もこの映画の見所です。最初は相談相手だった幸田に対して、次第に恋愛感情を抱く彩子。裁判では、夫を殺していないと無実を主張し続けた彩子に対して、幸田は無実だと信じて彩子をサポートし続けた。しかし、裁判後に彩子が幸田にだけ真実を告白すると、幸田は彩子から距離をとるようになる。そのショックから彩子は自ら命を絶ってしまう。
 
 幸田は、彩子の悩みを聞き入れて精神的に支えた良い人という見方ができる。一方、きれい事ばかり言っていた幸田は、結果的に誰も幸せにできなかったという見方もできます。この映画での幸田の評価は、人によって様々でした。
 
 今回は、本ではなく「映画」を読みましたが、同じ一つの映画作品でも人によって気付いた場面や感じ方に違いがあるのは面白い事だと感じました。この映画からは、男性と女性の立場や金と愛といった人間が持つ欲望を写し出しています。2018年の日本では、少しずつ男女平等へと動いていますが、性別による役割の違いがまだあります。半世紀以上も昔に制作された映画でも、現代社会と関係している問題を見つけるのは、面白い映画の見方だと感じました。

 授業の後半には、教科書を使って「主張」の書き方を学びました。意見文を書く上では、自分の意見(相手を納得させる)である主張がなくてはなりません。その中で大切なのが、「事実」と「意見」を区別する事です。区別する事によって、正確な情報を提示し、相手の信頼を得る事ができます。

 今回学んだ事は、レポートや議論をする時に、自分の意見を主張して相手に理解してもらう為に必要だと感じました。私自身、普段レポートなどを書く時に、事実と意見を区別しないで書いてしまう事があるので、今回学んだ事を活かしていきたいです。

2018年6月27日水曜日

2018年度 第10回ゼミ

担当教員の相澤です。今期10回目のゼミを行いました。

本ゼミは通常、各自が新書を読み、内容をゼミで紹介、他のゼミメンバーとの質疑応答を通して知識を深める活動を行っています。今回と次回は、いつもと趣向を変えて、「映画を読む」をテーマに学習を進めることにしました。映画を映像と物語から成るテキストだと捉えて、作品鑑賞を通して内容を理解し、監督の伝えようとするメッセージを正確に読み取ることを目指します。

今回題材に選んだのは、増村保造監督『妻は告白する』(大映、1961年)です。どの映画をゼミ生に鑑賞してもらうか直前まで迷ったのですが、私自身が大好きな作品を学生がどう読み解くのかを聞いてみたいという素朴な好奇心から、この作品を選びました。

この作品は、ものすごくシンプルに言うと、ヒロインが夫を殺した罪に問われる法廷劇です。50年前の日本社会を舞台にしたかなり思い愛憎劇、そして見慣れない白黒作品。学生には取っ付きにくいかと思いきや、意外にも入り込んで見てくれたようです。メモを取る手がさかんに動いていました。

私はこの作品をすでに何度も繰り返し見ていますが、見るたびに新しい発見があります。今回は、女性に課される社会規範の描き方について考えるところがありました。次回、ディスカッションを行い、皆で作品をじっくり味わいたいと思います。

2018年6月23日土曜日

2018年度第9回ゼミ

 ゼミ生のRです。
 第9回目のゼミを行いました。今回は前半に教科書『はじめよう、ロジカル・ライティング』を読み、後半にゼミ生二名の新書を紹介するという内容でした。

 まずは前半の内容についてです。前回のゼミで、意見文には「話題」「主張」「理由」の三要素と適切な「説明」が必要だと学びました。今回はそのうちの「話題」と「主張」に焦点を当てて学習を行いました。

 意見文を書く際、話題と主張はかみ合っていなければなりません。なぜなら、話題と主張がずれてしまうと、書き手が文章を書いた目的や主張が伝わりにくいものになるからです。そこで教科書によると、話題と主張をかみ合わせる為には、話題を疑問文でとらえると良いそうです。そうすることで主張が、疑問文でとらえた話題の答えとなるため、かみ合いやすくなるのです。私も文章を書く際、話題と主張がずれていったり、話題が本来の目的よりも大げさなものとなってしまうことが少なくないので、勉強になりました。

 話題の答えとなる主張は、「誰に」「何を」伝えるのかを意識し、一文で簡潔に表現することが必要です。また、主張内の「事実」と自分の「意見」を区別することも大切な要素です。これらのことを心がけることにより、読んだ相手に受け入れられやすい意見文が完成していくのです。

 次に後半の新書紹介です。最初にKさんが南野忠晴『正しいパンツのたたみ方』(岩波ジュニア新書、2011)を紹介しました。もともと英語教師であった著者は、生徒と接する中で、次第に生徒の生活の様子が気になるようになり、自らが家庭科の教員になります。本書は、そのような経歴を持つ著者が、人生において大切な知識や技術を実体験を交えて論じたものです。Kさんは特に遊びの発達段階というテーマについて紹介してくれました。著者は、人が大人になるまでに、「一人遊び」という初期の遊びの段階から、お互い同じ目的を持って遊ぶ「共同遊び」までを経験することが大切だと主張しているそうです。同じ目的を持って遊ぶということは、共通の関心事があるという意味にも繋がります。本書の遊びについての捉え方を聴いて、遊びが単なる子どもの振る舞いという枠にとどまらず、私たち大人にとっても重要な概念であること、そして人生の中で経験していくであろう家族や夫婦関係の問題解決に役立つものだということがわかりました。

 そして最後に私Rが平本一雄『臨海副都心物語 「お台場」をめぐる政治経済力学』(中公新書、2000)を紹介しました。本書は、東京都の集客空間の代表として知られている「お台場」を中心とした臨海副都心の開発の経緯を説明した本で、都市開発の実態が非常に良く伝わる内容となっています。本書からは、政治的な思惑を原因とする臨海副都心開発の問題点を知ることができました。開発に伴う問題の例として産業優先の都市開発や、同空間に進出する企業の選定が挙げられるのですが、私はこのような問題が起こる原因は、どれも計画者としての内部事情に固執し、都民の意見に耳を傾けない点にあると考えます。確かに、大規模なプロジェクトの進行にあたり、外からの意見を吸収することが簡単なことではないのは明らかです。しかし、初期段階から様々な意見に耳を傾けることを心がけないと、後々外から批判が発生することもまた明らかです。結果的に、批判を伴った問題の事後解決に割く労力の負担は、重大なものになってしまうのではないでしょうか。

 来週のゼミでは、新書に代わり、映画から物事を読みとり思考する予定です。次回もよろしくお願いします。


2018年6月13日水曜日

2018年第8回ゼミ

 ゼミ生のKです。

    第8回ゼミを行いました。今回のゼミでは、最初に、来年の春休みに行うスペインへのゼミ合宿についての確認をしました。なぜかというと、夏に行う予定だったゼミ合宿で使う旅館が満室で予約が取れず、計画変更になってしまったため、これを教訓にスペインへのゼミ合宿は早めに準備を開始しようと考えたからです。

 話し合いを終えると次に『はじめよう、ロジカル・ライティング』という教科書を使い、「意見文」について学びました。そこで、「意見文」には、「話題」「主張」「理由」の三要素に、適切な「説明」があることが、必要だと学びました。

「話題」とは、意見文の中で、「中心になって論じられている問い」のことです。ここでは注意が必要です。意見文を書いているうちに、「話題」が違う方向へ進んでしまうことがあるからです。そのため、意見文を書く際には、常に話題を意識することが重要だと、先生がおっしゃっていました。

 「主張」とは、「話題の答えとして、最も伝えたいこと」です。これがなければ意見文が始まりません。

 「理由」とは、「ある主張をするときに、なぜ自分の考えが正しいといえるかを読み手にわかりやすく伝えるためのもの」です。相手を納得させるためには、この「理由」の部分が必要不可欠です。意見文の中でも、重要なポイントだといえるでしょう。

 これらの三要素のそれぞれに適切な「説明」が加えられることで初めて、「意見文」と呼ぶことができるのです。今日学んだことは、大学でのレポートはもちろん、社会人になってからも、様々な場面で活かせることだと思うので、頭の中にしっかり入れ込みました。

    授業が後半に差し掛かった頃に、新書紹介を行いました。いつもは、ゼミ生4人全員が発表するのですが、今回は、教科書の勉強に力を入れたので、2人の発表となりました。

   1人目はNさんが萱野稔人さんの『死刑その哲学的考察』(ちくま書店、2017年)について、発表しました。この本で著者は、死刑制度について肯定派否定派両方を考察しています。その際、道徳、法制度、哲学など、様々な観点を使っているところが、特徴だと感じました。
    発表を聞いて、日本の国民の80%が死刑制度に賛成していること、そして死刑賛成の最も大きい理由が、被害者遺族の応報感情だということを知りました。確かに、自分の身内が殺されたら、その犯人が生きていることが許せないという気持ちになるだろうと思います。一方、死刑廃止の理由についてもいくつか説明されました。その中で、冤罪の人を殺してしまう可能性があると指摘されました。私は、この可能性がゼロにならない限り、死刑をしてはいけないのではないか、という考えにもなりました。
    個人的な意見にはなりますが、死刑制度について考えるときには、その死刑を執行する人がいるということも忘れてはならないと思いました。

    2人目はOさんが渡辺克義さんの『物語  ポーランドの歴史』(中公新書、2017年)について発表しました。この本は、ポーランドの度重なる国家消滅に関わる人々の「抵抗の歴史」についてが主な内容となっていました。
    発表を聞いて、長い歴史の中で、ポーランドは幾度となく敵国に攻められ大変だなと感じました。なぜポーランドが侵攻を多く受けてきたのかというと、周りにドイツやロシアなどの強国があるという立地的な面と、文化的な違いなどがあったからだということでした。それでも抵抗を続けたことには、ポーランド人の自由を求める力が大きかったからだと、説明されたので、強い民族だなと感じました。またこの本には、抵抗のための作戦なども詳しく書かれているらしいので、深く学べる本なのではないかと思いました。なおかつこの本は、ポーランドについての知識があまりない人でも、入門書として読めるものだと、本の中に記載されていました。

 最後に、相澤先生から、今後の予定などの話を聞いて、今回のゼミを終えました。今回もありがとうございました。以上です。

2018年6月6日水曜日

2018年度第7回ゼミ


ゼミ生Nです。第7回ゼミ活動の報告を行います。今回の講義内容は、新書紹介をはじめに行い、次に合宿の取り決め、最後に宿題にあった接続詞の答え合わせという流れとなります。

まず、Rさんが読んできた新書について発表を行いました。紹介した新書は、青木仁の『快適都市空間をつくる』(中公新書、2000年)です。本書の問題意識として、日本の都市、とりわけ東京が暮らしにくいのはなぜか、そしてどうすれば解決できるかというものです。著者は、東京の暮らしにくさの理由として、明治以降の産業優先による都市開発を挙げている。Rさんは著者が提案する問題解決策の内2つ紹介しました。その解決策とは、1つ目が歩くことの復権、2つ目が消費の復権です。私が簡単に説明すると、前者では歩くことを辞め自動車に代替されることによる影響、後者では従来の生産に偏った都市形成から消費に根差した都市開発に向ける重要性を主張されていました。聞いていて、時代の流れによって変化する都市の役割、再創造など興味深い内容でした。たしかに、今の東京を思い浮かべると、多くの店や飲食店が立ち並ぶ光景が目に浮かびます。それは、意図的に従来の都市の形から消費型の都市の形に変化した結果だと考えると、なんとも壮大な都市計画だと感じてしまいます。普段関心の持たなかった都市環境に目を向けようと強く感じるとともに、現在の消費型の都市から将来はどのような都市形態に変貌するのか興味がわいてきます。

次にOさんが読んできた新書について発表を行いました。紹介した新書は、『北朝鮮』という北朝鮮の情勢を取り扱った本です。発表では、オリンピックを巡る政治対決、冷戦の終結から核ミサイル開発など、現代の私たちに関わる北朝鮮問題について紹介し、馴染みやすい内容となっていました。北朝鮮が米国との対抗、交渉のカードとして核兵器を持つに至った背景や思惑など、今より北朝鮮という国の姿を知ることができました。最近、北朝鮮と米国の動きが進展し、より注意深く北朝鮮情勢に関心を持たなくてはならないように感じます。発表を聞いていて、この機会に北朝鮮について学ぼうと思いました。

次に、このブログの筆者、Nの発表です。私が紹介した本は春日武彦の『自己愛な人たち』(講談社現代新書、2012年)という新書です。内容は、様々な事例をあげ、それに対して精神科医の立場から「自己愛」について分析、解説したものとなっています。想像や説明では納得いかない他人の理解しがたい部分を感じさせられます。私たち人間は人間である以上、ある程度の「自己愛」がなくては生きていけません。ある人にとって、他人に認められることで「自己愛」を満たす者もいれば、自分の体を傷付けることによって生の実感を得て、それが結果的に自分の存在証明につながり「自己愛」を満たす者もいます。このように人間の心は一筋縄ではいかない複雑さを持ち合わせ、それぞれ共存していることを本書では感じることができます。なので読み終えた時、なんとも言えない不完全燃焼な気持ちになりました。しかし、人間の愛情を理解しようとすること自体がおこがましい行為であり、理解しがたいものこそ人間の愛情であり「自己愛」であると著者は伝えたいのだろうか。人間の愛情は理解を超える存在なのかもしれません。

最後は、Nさんが読んできた新書、飯島裕一の『健康不安社会を生きる』(岩波新書、2009年)です。新書の内容は健康に関するものです。発表では3章ある内容を簡潔に説明していました。第1章では、健康に対する定義が明確になるほど健康の体を維持する考えから不健康な部分を探す考えにシフトいく現象について、第2章では、「フードファディズム」といわれる食べ物が病気や健康に与える影響を過大評価する問題についてそれぞれ説明されました。そして、最後の第3章ではメタボの問題や運動の関わり合いなどを紹介されました。私自身、どの章の内容も興味深いと思いました。特に、第1章の健康定義の明確化によってもたらされる健康意識の変化については面白いというより不気味な印象を受けました。何かを追求し続け、最後には常軌を逸するまでに陥る、よく小説などで展開されるお話パターンです。必要以上に健康にこだわった生活習慣はどのような姿なのか覗いてみたいと思いました。

以上が新書発表の内容でした。それぞれ、異なるジャンルの新書だったので学ぶこともたくさんありました。ありがとうございます。



2018年6月1日金曜日

2018年度第6回ゼミ

ゼミ生のOです。

 第6回ゼミを行いました。今回は、各自が読んだ新書を発表した後に教科書『はじめよう、ロジカル・ライティング』を読みました。

 新書発表では、最初にNさんが堤未果『貧困大国アメリカ』(岩波書店、2008年)を紹介しました。この本は、アメリカの裏に隠された格差を医療、街、社会制度の面から論じています。アメリカと言うと、「自由な国」や「アメリカンドリーム」というイメージが強いですが、その裏には高額な医療費によって治療を受けられない人が大勢いるという医療格差の問題があります。本書によれば、この背景には、自由競争による貧困層の増加と、それに伴う財政赤字の発生があるとのことでした。報告を聞いて、充実した医療制度と財政面をうまく両立するのは、非常に難しい事だと感じました。これからの将来、高齢化が進む社会で生きる私達が、真剣に考えなければならない問題だということが伝わりました。

 次に相澤先生からは、鈴木透『スポーツ国家アメリカ 民主主義と巨大ビジネスのはざまで』(中央公論新社、2018年)を紹介しました。この本は、スポーツの歴史、実践からアメリカ社会を読み解こうとしています。誰もが平等にフェアプレー精神のもとで競い合い、楽しむはずのスポーツ。しかし、多民族国家アメリカでは、長らく黒人や女性は競技に出場すらできない事がありました。今では、日本人メジャーリーガーがいたり、多くの黒人選手も活躍していますが、スポーツの理念とは異なることが過去に平然と行われていて悲しいと感じました。今の日本大学タックル問題とも関連しますが、スポーツをする人みんなが、フェアプレー精神と敬意を持つ事が重要だと思います。

 次に私Oが、木村幹『韓国現代史』(中公新書、2008年)を紹介しました。本書は、日本統治時代を経て成立した「大韓民国」の歴代大統領の経験や体験を通して描かれています。建国してすぐに起きた朝鮮戦争(1950~)、日韓関係、国内政治、などの難しい問題に対して、時の大統領は何を考えていたのかがわかる一冊です。現在、北朝鮮との緊張関係から一転して、対話への動きを見せる朝鮮半島情勢。韓国の政治史を見ると、朝鮮戦争以降、幾度となく「対話と圧力」を繰り返してきた事がわかります。急変する国際政治を考える上では、過去の歴史に学べる事が多いということが伝わりました。

 次にRさんからは、釘原直樹『人はなぜ集団になると怠けるのか「社会的手抜き」の心理学』(中公新書、2013年)を紹介しました。この本は、集団で仕事をすることのデメリットについて書かれています。本書で語られている「社会的手抜き」とは、集団で作業を行う場合、1人当たりの努力量が低下する現象です。社会的手抜きの要因としては、自分の努力が集団全体に影響せず、一生懸命仕事をする必要が感じない事。他者が努力せず、自分だけが努力するのが馬鹿らしいと感じる事などが上げられています。私は、集団で作業をした方が効率が良いと思っていましたが、実際には集団の方が手を抜きやすい事は勉強になりました。

 最後にKさんが、髙谷清『重い障害を生きるということ』(岩波書店、2011年)を紹介しました。この本は、1960年代後半、障がい者に対する理解が不十分だった時代の著者の苦悩など、障がい者と社会とのあり方について書かれています。60年代と現代では、障がい者に対しての理解が進み、障がい者福祉が発達しています。しかし、まだまだ完璧に理解しているとは言いがたいです。長い間、障がい者福祉に立ち会った人の経験を知る事は、「人の命」について考えさせられ、良い社会を築き上げる中でのヒントになるのではないかと考えました。

 新書発表の後は、教科書を使って「つなぎの言葉」についてやりました。文章を書く中で、適切なつなぎ言葉を使わないと、後の文章との関係や意味がうまく伝わらなくなってしまうと感じました。

舞台観劇『ヘンリー五世』

 ゼミ生のKです。先日、相澤先生とゼミ生三人で新国立劇場にて、ウィリアム・シェイクスピア作の『ヘンリー五世』を観劇してきました。私は初めて新国立劇場へ行きました。正直な感想としては、オシャレで高貴な雰囲気に溢れているように感じ、少し館内に入るのを躊躇うほどでした。

終演後にぱちり。
    歴史劇の内容を簡単に説明します。『ヘンリー五世』は、イギリスとフランスの権威をかけた戦争のお話でした。主人公のハル王子が、兵士達をまとめ上げフランスに勝利を収める姿は、まさに英雄だと感じます。

    私は観劇初体験でありました。そんな私の率直な感想を書いていきたいと思います。

    まず、劇が始まって20分程経つまでは、セリフが飛んでしまったり、言葉を噛んでしまったりしたらどうするのだろう、というくだらないことを考えていました。しかし、セリフの一つ一つに迫力のある演技が続く中で、そんなことは忘れ、みるみるうちに圧倒されていきました。

    また、劇中で、フランスの貴族、イギリスの貴族、フランスのために戦う市民(兵隊)、また戦場の様子など、それぞれの場面展開がとても上手くて驚き、そして感動しました。大きく舞台セットを変えることなく、観ている私たちに臨場感を感じさせられることはすごいと思いました。

私には想像できない程の周到な準備を重ねてきたからなのだろうと思い、改めて感動しました。とても価値のある体験だと感じました。ありがとうございました。

2018年5月27日日曜日

書評:佐藤洋一郎『食の人類史』(中公新書、2016)

相澤ゼミの参加者は毎週一冊新書を読み、ゼミで内容を報告しています。Rさんがゼミでの報告をもとに佐藤洋一郎『食の人類史』(中公新書、2016)の書評を書いてくれました。同書の面白さが伝わる書評を、ブログにも掲載したいと思います。


 本書は、ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧を中心に食と関わる人々の動きや歴史の概要を眺めたものです。著者は、各地域の食文化や風土は密接に関わっていて、それゆえ思想や文化に大きな影響を及ぼすことがあると述べます。その例を二つ紹介します。

 一つ目はパッケージの違いがもたらす思想についてです。人が生物として生きるのに欠かせない栄養素として糖質(炭水化物)とタンパク質が挙げられます。各地域に定住した人類社会は、この糖質とタンパク質を同じ場所で生産し、かつ一体的に調理して食べるシステムを作り上げてきました。本書では、これを「糖質とタンパク質のパッケージ(同所性)」と呼びます。例えば糖質を米から、タンパク質を魚から主に摂取していた地域は「米と魚のパッケージ」に当てはまります。このパッケージの違いは、各地域の思想―ここでは主に宗教―に大きく影響を及ぼすことがあります。例として、東洋に多い「米と魚のパッケージ」と西洋に多い「麦とミルクのパッケージ」を比較します。米と魚のパッケージでは、動物性の食材の多くが魚などの天然資源由来であるのに対して、麦とミルクのパッケージでは、その主要な部分が家畜という「人が作った動物」に由来します。つまり、前者は狩猟という生業を食のシステムに組み入れたのに対して、後者は狩猟や採集とは距離をおくシステムです。後者のシステムは、キリスト教やユダヤ教、イスラム教の考え方に繋がると著者は述べています。すなわちキリスト教では「家畜は神が人に与えたもの」という思想に、ユダヤ教やイスラム教では広範な野生動物の摂食に対する躊躇、ないしタブー感へとつながるのです。このようにパッケージの違いは、大きな思想構造の違いをもたらします。

二つ目は私達になじみ深い和食文化についてです。和食文化は2013年ユネスコの無形文化遺産に登録されました。和食の基本は一汁三菜とされますが、この中の「汁」は豊富な水の存在を背景にしています。出汁のうまみを引き出すためには、多様な魚が手に入ることや、軟水があることが必要で、日本はその条件を備えています。また、日本列島が南北に長く気候の変化に富むこと、火山列島であって複雑な地質を持つことから、採集の対象となる植物資源も多様です。さらに、日本にある明確な四季は和食に欠かせない「旬」をもたらしています。遺産として登録されるまでとなった和食文化はこうした風土と密接に関わり合い、支えられているのです。

このように食の歴史について知るということは同時に風土や文化などの理解を深めることにも繋がります。各地域の現在の姿に至るまでの過程を、食を通して見ることも面白いのではないでしょうか。

2018年5月25日金曜日

2018年度第5回ゼミ

 ゼミ生のRです。

  第5回目のゼミを行いました。今回は初めに各自が事前に選んだ新書の紹介をした後、文章表現能力に関する学習を行い、最後に夏休みに行うゼミ合宿の行き先決めの話し合いをしました。

  新書の紹介では、最初にNさんが福島英『声のトレーニング』(岩波ジュニア新書、2005)を紹介しました。この本には、苦手な発音を練習することが出来る発音のトレーニング方法がたっぷりと書かれているそうです。読んだ内容をすぐに実践に生かせるというのが魅力的でした。自分では苦手でないと思っているような発音でも、トレーニングを実際試してみることで改善点などの気づきがあるかもしれません。

  次に私Rが増田寛也『東京消滅―介護破綻と地方移住』(中公新書、2015)を紹介しました。私は以前から介護業界に興味があったので、本書から介護や地方移住について詳細に学ぶことが出来て非常に勉強になりました。今、東京は介護破綻の危機に直面しています。その為、対策を急ぐのはもちろんです。しかし、実際に対策を実行するには高齢者の方々、地域住民の理解が欠かせません。そういったことも含め、本書の話題は単純に答えが出せない複雑な問題であると学びました。

  そしてNさんが有田正光/石村多門『ウンコに学べ!』(ちくま新書、2001)を紹介しました。私達にとって日常的であるウンコを通して、科学面や文化面、また環境倫理を論ずる内容です。著者のウンコに対する愛がひしひしと伝わってくるそうです。身近な問題であるウンコについて、楽しみ、時には感心しながら読み学べるものとなっている印象を受けました。

  最後にOさんが松尾秀哉『物語 ベルギーの歴史』(中公新書、2014)を紹介しました。言語紛争、分裂危機等、ベルギーの苦難の歴史が中心に書かれています。『フランダースの犬』の舞台であるベルギーですが、その実態については中々知る機会がありませんでした。多言語国家であるベルギーという国、またベルギー人という国民はどのように形成されていったのでしょうか。本書からは学べることが沢山ありそうです。

  新書紹介の後には文章表現能力に関する学習を行いました。学習の内容は、書き手の意図や語順が適切ではない文章を、読みやすいように正しく訂正するといったものでした。この作業は、白紙の状態から自分の意見文を作り上げるよりも難しいように私は感じました。なぜなら、他人の文章を訂正している中で、自分の意見や間違った解釈が文章に表れてしまうことがあるからです。他のゼミ生や相澤先生の訂正文章を聞くことで、自分の訂正文章に足りないものを見つけたりと、充実した文章トレーニングでした。

  そして今回のゼミ活動の最後には、夏休みに行うゼミ合宿の行き先決めの話し合いをしました。候補は網代と金沢だったのですが、現時点では網代に行き先が決まりました。まだまだ先のことではありますが、ゼミ夏合宿とても楽しみです!