2017年11月30日木曜日

2期 第9回ゼミ

担当教員の相澤です。今日は、通常のゼミ形態に戻って、新書報告を行いました。

最初に私が、池田嘉郎『ロシア革命』(岩波新書、2017)について報告しました。11/7でロシア革命から100周年ということで手にとった一冊。ロシア革命の流れをコンパクトにたどることができました。ゼミ生がフランス革命に関する本をはすでに報告してくれていたので、フランス革命との違いに焦点をあてて、皆で議論しました。

次に、Sさんが池内紀『ドイツ 町から町へ』(中公新書、2002)について報告しました。本書では、文学者らしい表現でドイツの72の町が紹介されているとのこと。紹介の中にドイツの生活風景が、そしてそこに垣間見えるドイツ人の気質について説明してくれました。これまで読んできたフランス関連の多くの本をふまえて、ドイツとフランスの違いについて議論しました。

最後にYさんが澤井繁男『ナポリの肖像 血と知の南イタリア』(中公新書、2001)について報告しました。本書では、南イタリアの都市ナポリの歴史と文化が説明されているとのこと。様々な戦乱や交易を通して、様々な民族が入り交じることになった土地で、人びとがナポリのアイデンティティをいかに確立したのかを説明してくれました。

新書報告後は、短いテキストを使って、文章を批判的に読む訓練を行いました。

今回は、参加者がたまたまフランス以外の国についての本を選びました。ロシア、ドイツ、イタリアとヨーロッパおよび隣接地域について知識を深めることで、フランスや日本を相対化して考察する視点を持つことを目指しています。

2017年11月24日金曜日

2期 第8回ゼミ

ゼミ生のYです。

 2期第8回ゼミを行いました。今回は芝健介著『ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌』(2001年、中公新書)を各々読んできて、意見交換しながらホロコーストについて考えていきました。私はユダヤ問題については世界史における悲しい一出来事ということ以外にあまり深く掘り下げたことがなく、本書を通して詳しい事実や背景をよく知る良い機会になりました。

 反ユダヤ主義から始まったホロコーストはヒトラーやナチスの思想のみによるものではなく、様々な要因も合わさったことによって状況が加速し、歯止めが効かなくなってしまった結果でした。しかし、だからといって彼らのしたことが許されるわけではありません。行きすぎた選民思想とエゴが独裁と悲劇を生み出してしまったという紛れもない事実を忘れず、人間の生き方や宗教のあり方、多様性を認める社会を考えていかなければならないのだと思いました。

 ゼミ後には、学習センターで行われていたランチタイム講座「手話セミナー」を聴講しました。講座といっても全く堅くなく、手話の文化について実演を交えながら分かりやすく楽しく知ることができました。実際に手話の話者である本学の学生の方もとても人当たりが良い感じでした。1期で手話に関してディスカッションを行いましたが、それでもまだまだ知らないこともあり、一層勉強になりました。

 私が小学校の頃、発音障害を持っていたある男の子のクラスには壁に指文字の表が必ず貼ってありました。そうすることで指文字が身近なものとして違和感なく感じられるほか、その子とも皆分け隔てなく自然に接することが出来ていました。頭が良く話も面白い彼は友達がとても多かったのをよく覚えています。こうした相互理解のための工夫がもっと広くなされることで、誰もが生きやすい社会へ一歩踏み出して行けるのではないでしょうか。

2017年11月16日木曜日

2期 第6回、7回ゼミ

担当教員の相澤です。第6回、7回ゼミでは、いつもとは趣を変えて、映画を「読み」ました。

本ゼミでは、毎回、文章を正確に読む訓練をしています。しかし、「読み」の対象は本だけではありません。映画作品が映像を通して何を表現しているのかを正確に理解するためには、映像や作品全体を「読む」訓練が必要です。そこで、今回はマルジャン・サトラピ監督の『ペルセポリス』という映画を見て、この作品が伝えようとするメッセージをみんなで読み取ることにしました。

『ペルセポリス』は、イランとヨーロッパを舞台に、マルジというイラン人女性の成長を描き出す作品です。イラン革命とイラン・イラク戦争で大きく変化する幼年時代、ヨーロッパへ留学し異文化の中で生きる思春期、そしてヨーロッパからイランに帰って大人としての一歩を踏み出すまで、と主に三つの場面から成り立っています。

ヨーロッパでもイランでも、マルジは友人に囲まれ、社会や文化に溶け込んだ生活をしているように見えます。しかし、彼女はヨーロッパにおいても祖国イランにおいても自分を「異邦人」と感じると言います。私は、この気持ちが一体どこから生じるのかをゼミ生に考えてほしいと思いました。というのも、私自身、ヨーロッパで二年暮らしながら「異邦人」であると折に触れて感じずにはいられなかったからです。「異文化共生」という言葉をしばしば耳にする昨今、それは一体どういうことなのか、あるいはどれほどの難しさを伴うことなのかを映画を通じて改めて想像してほしかったのです。

「ペルセポリス」は私の大好きな作品の一つで、公開以後(初めてフランスに留学している最中に映画館で見たのが最初)、何度も見返し、何度も涙している、言わばすでに十分に味わい尽くしている作品です。にもかかわらず、今回若い学生と一緒に感想を話し合う中で、さらに新たな気づきを得ることができました。学生も、他のゼミ生や私と語る中で気づきがあったと思います。いい映画はいい本と同様、語る価値がある!語るって面白い!ということをゼミ生が体験してくれたとしたら、授業をやった甲斐があるというものですが、どうだったでしょう?



2017年11月11日土曜日

舞台観劇 『プライムたちの夜』

 ゼミ生のRです。

  118日、ゼミ終了後に相澤先生とゼミ生二人で新国立劇場にて演劇『プライムたちの夜』を観劇しました。前回のゼミでの舞台観劇の方も新国立劇場でした。今回は以前観劇した中劇場ではなく小劇場でしたので、出演者との距離がより近いという新鮮さがありました。『プライムたちの夜』は海外戯曲です。今回が日本初演ということで観劇前から非常に楽しみでした。


 今日、世界全体でAIやロボット技術を活用しています。テレビやスマートフォンでそういった内容のニュースを日々見ているものの、いまいち自分自身にはピンとこない部分がありました。しかし本戯曲は、まさにこうした新しい技術と人間の関係をテーマとしています。人間ドラマを通して、ダイレクトに技術がもたらす不安や葛藤が伝わってきました。そして日々取り上げられている技術関連のニュースを思い出すと、本戯曲のようにアンドロイドと人間が共に生きるのは、そう遠くない未来かもしれないと感じます。そうなった時、自分は発達した技術とどのように向き合えばよいかと考えさせられました。

 シリアスな題材を活かす役者さんの演技が素晴らしく、上演後半には思わず涙しました。「老い」や「家族」もテーマでしたので、自身の家族や大切な人について考えながら観劇しました。そうすると共感出来る場面が多くありました。特に印象に残っているのはアンドロイドの「なんて素敵なの。誰かを愛せたってことは」という台詞です。技術が進むにつれて何でも可能にしてしまう人工知能にとって、唯一不可能なことがこの「愛する」という感情を持つことではないかと感じました。


 戯曲を観劇して、たとえ家族や大切な人が亡くなったとしてもアンドロイドとして再会したくはないと思いました。人生はどのような過程があろうと一度きりだからこそ尊いもので、その人の生きた価値があるのだと考えます。一方で大切な人と思う程、その人とは永遠にでも一緒に居たいという気持ちも理解出来ます。戯曲を通した個人的な学びとしては、大切な人と後悔しないような関わりを築くということです。

 舞台観劇をする度に、新しい視点や考えを得られると感じます。今回も充実した時間となりました。